院長のあいさつ

入れ歯に対する思い

私と総入れ歯との最初の出会いは父親との思い出に他なりません。

札幌市内の大学を卒業して実際に臨床の場に出るようになったのは、大学の付属病院でした。

本来は大学院生なので、外来の仕事はあまりなかったのですが、臨床の雰囲気は、とても気に入ってましたので、よく出て先輩のやることを見学と手伝いをさせてもらいました。

ここで何度も入れ歯を作る様子を見ることができました。

そんな頃父に「お前も大学を卒業したのだから、そろそろ父さんの入れ歯を作ってくれないか、今使っている入れ歯は痛くてかなわん。」と言われました。

自分でも是非作ってみたいと思っていた時です。二つ返事で約束しました。

父の入れ歯を初めてじっくり見ることになり、見た瞬間これは噛めないとわかりました。

なぜなら大学の付属病院で先輩から

「小泉君 見ろ、これが紐(ひも)状デンチャーといって 1 番悪い形なんだ。」と教えられた紐状デンチャーがそこにありました。

だからいつも「入れ歯が痛い痛い」と言っていたわけがわかりました。

紐状デンチャーとは、解剖学的な形状とは、程遠く、機能の面でも安定性の面でもダメな入れ歯なのです。

私が子供の頃の父は大きな歯ブラシで、ごしごし音をたてて歯を磨いていました。

そんな父がいつから総入れ歯になったのか知りませんでした。

まさか父がそんな入れ歯しか入れていないとは、思いもよらず情けない気持ちでいっぱいになったのを思い出します。

しかし喜んで作ってあげようと思ったものの、当時父は多忙な毎日で札幌市内にあるといっても付属病院の外来の開いている時間に総入れ歯を作りに来ることはできませんでした。

そこで思い切って自宅で勉強のつもりで父の入れ歯を作ってみることにしました。

型採りの道具と材料を借りてきて、早速始めました。父の口の周りは、汚れましたが、何度も繰り返しなんとか上下の型採りができました。

後は自分で入れ歯作りの仕事は専門書を見たり先輩や技工士さんに聞きながらなし遂げました。

人工の歯の選択も父と相談して決め、自分で並べ、納得の行くところまでやりました。

へたくそな私に父は良く付き合ってくれたと思います。

最後の総入れ歯をプラスチックに置き換えの工程だけは顔見知りの技工士さんに頼んでやってもらいました。

やっと完成して恐る恐る父の口に入れてみました。

第一声は「ああこの入れ歯はぴったりだ」でした。

正直すごくうれしく感じました。

しかし、これでハッピーエンドではありませんでした。

この後使ってもらうと「ここが痛いあそこが痛い」の連続でした。考えたら当たり前です。

まだ経験もなくとにかく下手なのですから。

あるのは意欲と情熱だけ。

札幌市内の父の家と私のアパートで細かい入れ歯の調整を何度も何度も繰り返して、父に「入れ歯ってこんなに調整いるものなんだ」と妙に関心していました。

最後に「痛くなく何でも噛めるぞ」といわれ本当に喜ばれ私もうれしく思いました。

これが最初に私が作った総入れ歯でした。この時の経験はその後も多いに役立ちました。

今の自分の実力からすれば、まだまだツタナイ入れ歯でした。でも父は息子に作ってもらった入れ歯だと他の人たちにうれしそうに語っていたそうです。

その父も間もなく事故で私の作った入れ歯を入れたまま亡くなってしまいました。

今生きていれば、もっともっと満足のゆく総入れ歯を入れてあげられたのに、残念です。

そこで、入れ歯には、父へのこだわりがあるのです。

患者さんが付いてきていただければ、満足の行けるところまでにしてさしあげたいのです。